【知っておきたいアイヌの魅力】ゴールデンカムイの世界・アイヌ文化について~アイヌ文化の変容過程編~ - 大学生の下剋上勉強法

【知っておきたいアイヌの魅力】ゴールデンカムイの世界・アイヌ文化について~アイヌ文化の変容過程編~

アイヌ

(※この記事でわかること)
この記事では、アイヌ文化の変容過程について、簡単にまとめてあります。

はじめに

みなさんこんにちは、たいやきです。

今回は、アイヌ文化の変化、その過程についてまとめていきたいと思います。

今回は、以下の「モノから見たアイヌ文化史」を参考に、紹介していきたいと思います。

アイヌ文化の歴史について知りたいとおもったら、ぜひ読んでおきた名著です。

大変わかりやすいです本で、おすすめです。

まず、先に結論から述べると、アイヌ文化は、主にアイヌの人々による反乱・蜂起や、和人との対立が起きる度に変容していった可能性が高いといえます。

そこで、以下では代表的な3つのアイヌの反乱を取り挙げ、それぞれの段階でどのような文化の変容がみられるのかといった点についてまとめていきたいと思います。

コシャマインの戦いとそれ以後

 まず、コシャマインの戦いについてみていきます。

コシャマインの戦い(1457)とは、志濃里殺人事件に端を発する、渡島半島におけるアイヌと和人の対立です。

この事件は、アイヌが和人の鍛冶屋にマキリ(刀子:動物を解体する包丁)や、布を裁断する鋏みとして使用する)の製作を依頼したところ、その良し悪しを巡って口論になり、これに激怒した和人がそのアイヌをマキリで刺殺したというものです。

この事件の内容からは、当時の道南のアイヌが自ら鍛冶を行うことなく、和人製の鉄器を利用する文化を有していたという点を読み取ることができます。

この点に関して、前代の擦文文化人達が鍛冶技術を持っていた点をふまえると、この時期の道南・渡島半島におけるアイヌの人々は既に鍛冶技術を失っていた可能性が高いといえるでしょう。

しかし、墓における副葬品が少ない擦文文化とは異なり、アイヌ墓の副葬品は豊富であるうえ、特に鉄製品が多く納められています。

とすると、この志濃里殺人事件、またはコシャマインの戦い以降において、少なくとも鍛冶技術を失った道南におけるアイヌの人々は本州産の鉄器や本州から渡ってきた和人の鍛冶屋が作る鉄器に頼らざるを得なくなっていたのではないかと推測されます。

そしてこの点に、まずは、和人(日本国の人)による蝦夷地の経済的内国化の萌芽をみることができる。

  

シャクシャインの戦いとそれ以後

次ぎに注目されるのは、シャクシャインの戦いです。

シャクシャインの戦い(1669)は、もともとアイヌ民族内部における抗争が原因で生じましたが、途中で松前藩も参戦したことによって次第に激戦化し、最終的には近世最大のアイヌ民族の蜂起となった戦いです。

この反乱に関しては、特にこの乱の収束後に、降伏したアイヌの人々に対して和人側が出した起請文において注目すべき点(条例)が注目されます。

すなわち、和人側(松前藩)が当時のアイヌとの交易物のなかで最も重要視していたのは「毛皮」であったという推定される点です。

おそらく、当時のアイヌの人々は、エゾシカ狩猟などによって交易品としての毛皮を得ていたと思われますが、この条例をふまえると、少なくとも17世紀以降の蝦夷地において、アイヌによるエゾシカの大量捕獲が本格化するようになっていったと推測されます。

つまり、このような条例からは、当時のアイヌの生業が、和人との交易における毛皮需要の高まりによって次第に狩猟へと特化していったという点を読み取ることができるといえるでしょう。

 

クナシリ・メナシの戦いとそれ以後

クナシリ・メナシの戦い(1789)とは、クナシリの場所請負人であった飛騨屋九兵衛、またはその雇人との商取引や労働環境に不満を持ったクナシリ場所のアイヌが蜂起したために生じた戦いです。

この戦いの後、幕府はアイヌの蜂起の原因について、彼らが経済的な苦境に立たされているためであると理解し、場所請負制を幕府直轄とする対処をとりました。

結果、このような対処によってアイヌの経済的苦痛は大きく緩和されましたが、実際にはこの処置によってアイヌが和人の経済体制に完全に組み込まれるようになっていったといえます。

おわりに

みなさん、いかがでしたか?

このように、アイヌ文化は、主にアイヌの人々による反乱や、和人との対立が起きる度に変容していったといえます。

順を追って触れると、まず、志濃里殺害事件に端を発するコシャマインの戦いの後では、道南アイヌの人々が本州産、または和人製の鉄器に頼らざるを得ない状況に陥っていったという点を確認することができます。

そしてこの点は、和人による蝦夷地の経済的内国化の萌芽として捉えることが可能です。

また、続くシャクシャインの戦いの後はアイヌの生業が狩猟へと特化していく様相を確認することができます。

さらに、クナシリ・メナシの戦いの収束後に行われた場所請負制の幕府直轄化は、アイヌを和人の経済体制に完全に組み込むものであったと理解することができるでしょう。

これらの点から、度重なる和人との対立に伴うアイヌ文化の変容とは、主に和人の干渉によってアイヌ、またはその居住地である蝦夷地が日本経済圏へと組み込まれていく過程でもあったと言い換えることができます。

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