【知っておきたいアイヌの魅力】ゴールデンカムイの世界・アイヌ文化について~本州アイヌ編~ - 大学生の下剋上勉強法

【知っておきたいアイヌの魅力】ゴールデンカムイの世界・アイヌ文化について~本州アイヌ編~

アイヌ

(※この記事でわかること)
この記事では、アイヌのなかでも、青森県を中心として本州で生活していたアイヌ、本州アイヌについてわかりやすくまとめています。

はじめに

みなさんこんにちは、たいやきです。

突然ですが、みなさんは、本州アイヌという言葉を聞いたことはありますか?

アイヌというと、もしかしたら北海道のイメージが強いかもしれませんね。

しかし、なんと、過去には本州(青森県)にもアイヌが住んでいたという、事実があります。

アイヌを知るうえで、ぜひともこの本州アイヌはおさえておかねば。

かつて、中近世における北海道島は日本国家に組み込まれることがなく、蝦夷地とよばれていました。

そしてこの蝦夷地の歴史に関しては、当時その地に居住していたアイヌ(北方民族)とその地へ次第に進出していった和人との双方によって営まれてきました。

しかし、従来の研究では、「北から」の文化的影響を重視するあまり、「南から」の観点における研究はあまり行われてこなかったという課題があります。

そこで、「南から」、つまり本州側の和人進出にも着目する必要がありますが、そこで有効的であると考えられるのが本州アイヌに関する研究なのです。

本州アイヌに関する研究は、それまで別に行われてきたアイヌ考古学(「北から」の視点)と、中近世考古学(「南から」の視点)とを結びつける研究でもあり、大変重要であるといえるでしょう。

なお、中近世考古学について知りたい方は、こちらの記事でおすすめの本を紹介しております。

そんなわけで、今回は、アイヌの中でも大変重要な、本州アイヌについて紹介していきたいと思います。

なお、今回は、この「モノから見たアイヌ文化史」を参考にまとめています。

この本は、現代におけるアイヌ文化の考古学的研究の到達点です。

アイヌの歴史について知りたいと思ったら、まずはこの1冊で、おさらいしておきたいところ。

ぜひ読んでみてくださいね。

アイヌに関する研究史について

まずは、アイヌに関する研究史について振りかえってみます。

この振り返りが、本州アイヌの重要性を確認するうえで大事だったりします。

まず、アイヌの人々は文字を残さなかったため、これまでは主に考古資料を通しての研究が進められてきました。

残された文献史料を用いてアイヌに関する研究を行うことも可能ではありますが、文献に記されたアイヌの人々は、和人(日本国の人)の視点によるものであるうえ、主に18世紀以降の史料に限られる、という制約があります。

そのため、17世紀以前のアイヌに関しては、絵画、民俗、民具、考古資料などの非文字資料によって研究を行う必要がありますが、資料の制約上、ほぼ考古資料に頼らざるを得ない状況なのです。

 しかし、そのようなアイヌの考古学的研究も、これまではアイヌの特徴、例えば北太平洋の民族的世界を連想させるような資料のみの研究が進められてきたといった偏りがみられました。

アイヌ文化は、北海道の擦文文化を基盤としつつ、北方の文化と南からの列島の影響のもとで成立したものです。

そのため、アイヌの人々は北太平洋の民族的世界と国家的世界とを繋ぐ存在であり、当時の日本製品がアイヌの人々に影響を与えた可能性も想定されます。

そこで、そのような日本製品がアイヌ世界へと与えた影響を検討する際には、本州アイヌに関する研究が有効的なんですね。

本州アイヌに関する考古学的研究の対象

では、具体的に本州アイヌについてどのような研究が可能なのか?

本州アイヌの人々は、近世初頭の時点では主に津軽半島北部における「狄村」に居住し、乳井貢による和人同化政策が行われた18世紀中葉まで存在していたことが、文献史料の記録を通して知ることができます。

そのため、本州アイヌの人々が存在していたのは主に中世であり、先述したように彼らに関する研究は主に考古学的手法を用いて行うことが有効的であるといえます。

また、特に、そのような考古学的研究は、遺物としては銛頭、骨鏃、中柄などの骨角器やガラス玉、蝦夷拵などの刀装具、遺跡では下北半島北部におけるアワビ貝塚や中世戦国城館、または十三湊のような湊湾都市や先述したような狄村などを通して行うことが可能なのです。

本州アイヌの習俗と生業

では、具体的に本州アイヌの研究からどのようなことがわかるのか?

習俗と生業という観点からみてみましょう。

①習俗

 本州アイヌは、主に18世紀中葉の同化政策以前においては、文献に記録されている以下の点から、その異民族性を通して、藩の権力を内外に誇示するのに利用されていたとされます。

例えば、

a:藩主への特産物献上

b:御目見儀礼

c:雑穀類の支給・貸与

d:漁場・木材利用に関する優遇策

 特にa、bは17世紀中葉~18世紀前葉以前において行われていたことが文献に記されており、18世紀中葉は全くみられなくなれます。

これは、やはり18世紀中葉における同化政策が関係している可能性が高いといえます。

②生業

アイヌの生業のうち、考古学的に論証することが可能であるのは、主に狩猟・漁撈に限られますが、特に漁撈が活発に行われていた可能性が高いです。

特に、青森県では、14~15世紀には下北半島、17世紀には下北半島~渡島半島日本海沿岸部、18~19世紀には下北半島~積丹半島北側日本海沿岸部、道北礼文島に貝塚が形成されるといった変遷がみられ、次第に北へと拡大している様子が確認されます。

また、アイヌの貝塚では、全体的に主にアワビを主体とするものは少なく、海獣類も豊富に出土します。

加えて、その出土品に関しては、同時期における戦国城館における出土品と大差がありません。

この点から、例外的であるアワビを主体とする貝塚に関しては、主に和人の求めに応じてアイヌの人々が採取したアワビの加工場である可能性が想定されます。

本州アイヌ研究の重要性

ここで、これまでの流れをふまえて、本州アイヌの研究の重要性について、まとめておきたいと思います。

上記のように、本州アイヌに関する研究は、従来別に進められてきたアイヌ考古学研究と中近世考古学とを結ぶことができ、南北双方の影響のもとで営まれてきた蝦夷地史の復元に大きく貢献できるといった点で重要といえるでしょう。

また、そのような本州アイヌの考古学的研究は出土する骨角器や残されたアワビ貝塚などを通して行うことができますが、そのような痕跡からは、彼らが和人交易の盛行化に伴い、漁撈に重点を置く生活を送っていたことが窺われます。

加えて、アイヌの貝塚からの出土品は同時期における中世戦国城館跡における出土品と大差ないことから、本州アイヌの人々は多分に和風化していたといえるでしょう。

他にも、本州アイヌの痕跡がみられる遺跡の分布に目を向けると、内陸部に多いことがわかります。

このことから、中世における本州アイヌの人々は、近世初頭において海辺の狄村に居住する以前には、当時の領主と一定の距離を保ちつつ、内陸部で生活していた可能性が高いです。

加えて、この期間において、文献にみられる特産物献上や御目見儀礼などを通したアイヌの「異民族性」が利用されていたと考えられます。

しかし、その後の18世紀中葉以降における乳井貢の同化政策を考慮すると、藩は本州アイヌを異民族の体面として利用するより、百姓として労働させることが効果的であると考えるようになった可能性が高く、その背景には藩の財政難が関係している可能性が想定されます。

おわりに

みなさん、いかがでしたか?

本州アイヌへ着目することで、アイヌ文化の意外な一面が、見えてきそうです。

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