【弘前さくらまつりに合わせて見たい!!】青森県弘前市における前川國男の建築物を紹介!! - 大学生の下剋上勉強法

【弘前さくらまつりに合わせて見たい!!】青森県弘前市における前川國男の建築物を紹介!!

趣味

(※この記事でわかること)
この記事では、青森県弘前市で確認できる、日本における著名な建築家・前川國男の建築物について紹介していきます。

はじめに

みなさん、こんにちは。たいやきです。

みなさんは、前川國男という人物をご存じですか?

日本を代表する建築家で、後述するように、たくさんの有名な建物の建築を担当された方です。

そんな方が建築された建物が、青森県弘前市でたくさん確認することができるんです!!

日本を代表する建築家の作品、ぜひみなさん、実際に見てみてください。

今では、弘前公園における弘前さくらまつりも大変盛況ですが、この公園近くで確認できる建物もありますので、是非一緒に観賞されてみてはいかがでしょう?

前川國男って?

前川國男ってどんな人なのか?

前川國男は、1905年新潟市生まれの人。

東京帝国大学の建築学科を卒業後、フランスへと発ち、建築の巨匠ル・コルビュジェのもとで建築を学びます。

そして、その帰国後、様々な作品を日本で製作することになるんですね。

ル・コルビュジェって?

コルビュジェは、建築の分野で19世紀から20世紀にかけて起きた思想運動「モダニズム」の中心人物。

モダニズムとは、当時の斬新な技術を導入するという新潮流でした。

特に、コルビュジェは、近代建築5原則と呼ばれる、

①ピロティ 

②屋上庭園 

③自由な平面 

④水平な連続窓 

⑤自由な平面 

の5つを提唱しました。

当時40才で、「白の時代」と呼ばれる明快で合理的な住宅作品を多く手がけていた時代のコルビュジェのもとに、前川は弟子入りしました。

帰国後の前川國男

そんなコルビュジェのもとで建築を学んだ後、帰国した前川は帝室博物館建築のコンペに出場します。

帝室博物館とは今の東京国立博物館。東京・上野にありますね。

前川は、和風の屋根を架けることが条件だった当時の帝室博物館のコンペに、あえて陸屋根の案を出しました。

これは落選しましたが、モダニストのアイデンティティーをかけて戦った建築家として称賛され「闘将」の異名を得えました。

戦後は、日本の建築界をリードする存在として特に美術館、音楽ホールなどの文化施設を多く手がけています。

また、普通の人物が住む住宅の設計にも積極的に取り組んでいました。

弘前と前川國男

そんな彼と弘前の関係って?

実は、青森県弘前市には、そんな彼のデビュー作から最晩年までの8作品が存在しているんです!

いわば、弘前は日本近代建築の縮図とも言い表すことができるんですね。

彼のデビュー作は「木村産業研究所」です。

25才の時の作品であり、木村隆三の依頼で手がけました。

これは現在弘前市在府町に存在します。

コルビュジェのもとで学んだ技術を使い、華々しくデビューを飾った前川でしたが、なんとこの作品は失敗してしまいます。

凍害によってバルコニーが朽ちてしまったのです。

この失敗によって前川は「モダン建築は脆弱である」という事実に直面することになります。

なお、他の作品では1960年代前半までの彼のスタイルである、モダニストならではの打ち放しコンクリートの外装で作られた「弘前市民会館」があります。

その後は「弘前市立博物館」「弘前市民庁舎」のようにタイルで建物を覆うスタイルが見られます。

この理由は、高温多湿の日本でコンクリートをむき出しのまま使うと、痛みが激しく長い平日に耐えられないと判断したからです。

「弘前市民会館」「弘前市立博物館」は、弘前公園近くで見ることができますので、ぜひご覧ください。

弘前市立博物館

また、1980年代、死の直前の前川は「緑の相談所」「弘前市斎場」で、かつて否定した、モダニストと対立する傾斜屋根を受け入れました。

「緑の相談所」も、公園内にありますので、ぜひ立ち寄ってみてください。

このように、建築界の「闘将」とうたわれた前川國男という人物の「失敗」や生涯をかけて真剣に向き合った「葛藤」が垣間見える建築物が、弘前には多数存在しているんですね。

おわりに

みなさん、いかがでしたか?

日本の建築界の巨匠、前川國男の作品を、ぜひさくらまつりとともに楽しんでみてはいかがでしょう?

なお、別の記事では弘前さくらまつりにあわせてよみたい、弘前を舞台にしたおすすめマンガも紹介しているので、あわせてご覧ください。

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