【元考古学専門修士卒が教える】大名墓の考古学的研究について - 大学生の下剋上勉強法

【元考古学専門修士卒が教える】大名墓の考古学的研究について

中近世考古学

(※この記事でわかること)
この記事では、大名墓の考古学的研究について、簡単にまとめています。

はじめに

みなさんこんにちは、たいやきです。

みなさんは、大名墓についてご存じですか?

大名墓とは、その名のとおり昔に存在した大名の墓のこと。

よく歴史の名所として観光に訪れる方もいらっしゃるかと思いますが、実はこの大名墓は、とっても重要な歴史資料なんですね。

今回は、そんな大名墓の歴史的研究について、みていきましょう。

なお、今回の記事は、下記の「墓石が語る江戸時代」を参考に書いています。

国元の墓と江戸の墓

近世大名の墓所は、国元の他にも江戸、または紀州高野山などの複数の場所に設置されています。

この点に関して、江戸・高野山における墓所では、徳川将軍家を頂点とする大名間の身分秩序に則り型式や大きさに制約がみられるのに対し、国元における墓所では、大名を頂点とする藩内の身分秩序は存在するが、大名家ごとの個性が出るといった差異がみられます。

このように、国元以外にも墓所が設置されているのは、主に当時の参勤交代が関係しているとされます。

特に、単に国元で亡くなった場合には国元における墓所に遺体が埋葬されるが、江戸で亡くなった場合には、

①江戸の墓所に埋葬される

②遺体を国元に運び埋葬する

③遺体を分けて江戸と国元の両方に納める

などのパターンがあったために、複数の墓所が形成されるようになったと考えられます。

また、大名墓自体にも、

①遺体が埋葬されている本葬墓

②遺体を伴わない詣り墓

③さらには転封などに伴い遺体や副葬品などを改葬する改葬墓

などの種類がみられるため、このような点も、複数の墓所設置に関係していると考えられます。

加えて、近世大名墓には五輪塔が最も多く、無縫塔や碑形などが使用されますが、その墓制に目を向けると、それらは前代における戦国大名の造墓規範を継承しながらも、独自にそれを発展させ、家ごとに葬儀礼を確立していったことが明らかにされています。

大名墓の多様性とその背景

前項では、特に大名墓が複数の場所に設置されている点に触れ、その背景には参勤交代や大名墓の種類などが関係していると考えられました。

以下では、先述したような、国元の墓所においてみられる多様性に注目し、その様相と要因に関する検討を行ってみましょう。

大名墓の多様性に関しては主に霊屋や門、拝殿、墓標、位牌、鳥居、手水鉢などの地上施設にみることができるが、それらは主に以下の4種類に分類することができます。

1類:埋葬施設上に霊屋が建つ

 a:内部に墓標を納める b:木像を納める c:位牌を納める

2類:埋葬施設上の霊屋とは別に拝殿を有する

3類:埋葬施設上に墳丘を構築し、手前に礼拝施設を有する

   主に、①墳丘形態(a円形、b方形、c八角形、d馬りょう形)、②礼拝施設(a木造拝殿、b石廟、c亀趺碑)によって分類する

4類:埋葬施設上に基壇を構築し、その上に墓石を設置するが、覆屋は設けない

   主に、基壇の構造(a壇上積、b間知積)によって分類する

 このように、大名墓の多様性は主に地上施設に着目することでその様相を明らかにすることができますが、その背景には多方面における宗教から影響が想定されます。

特に、神社においてよく見かける鳥居や手水鉢などが、墓の地上施設に見られる点は注目されます。

つまり、国元の墓所における多様性の形成には、主に当時の幕府の宗教統制政策であった寺壇家制度や幕府の武家政治の基本理念であった儒学に加えて、日本古来の神道なども少なからず影響している可能性が高いといえます。

おわりに

みなさん、いかがでしたか?

近世大名の墓所は、自らの国元以外にも江戸や高野山などの複数の場所に設置されていることが知られていますが、その背景には参勤交代や、大名墓自体の種類が豊富である点など影響していると考えられます。

また、そのような墓所のうち、江戸・高野山に比べて国元における大名墓には多様性がみられるという差異が存在します。

そのような国元における大名墓の多様性は主に地上施設などにみられますが、その背景には当時の幕府の宗教統制政策の要であった寺壇家制度と日本古来の神道、さらには幕府が武家政治の基本理念とした儒学などが関係していると考えられます。

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