【元考古学専門修士卒が教える】墓石から読み取ることができる社会構造 - 大学生の下剋上勉強法

【元考古学専門修士卒が教える】墓石から読み取ることができる社会構造

中近世考古学

(※この記事でわかること)
この記事では、墓石の考古学的分析を通して明らかいすることができる社会構造について紹介しています。

はじめに

みなさんこんにちは、たいやきです。

今回は、墓石から読み取ることができる社会構造について、紹介していきます。

なお、今回の記事は「墓石が語る江戸時代」を参考にまとめています。

興味がある方は、ぜひ読んでみてください。

墓石に現れた階層性の検討

江戸時代においては、武士・百姓・町人・寺社関係者や被差別民といった身分制が設けられており、そのような階層制が墓石に現れていることも少なくないです。

これらのうち、階層制に関する検討を行う対象としては、禄高や役職により細かく階層化されているうえ、身分秩序が厳格である武家が適しています。

また、墓石に現れた階層制を検討する方法としては、

①戒名の違いに注目する

②俗名の違いに注目する

③武家を対象に藩士名簿などと照合し、禄高や役職により比較する

などの方法が挙げられます。

以下では、それぞれの方法に関して福井県小浜市内の墓石調査・分析の結果を用いながらみていきましょう。

①戒名の違いに注目する

戒名には生前の社会的・経済的階層が反映されているため、階層制を検討する際には有効的です。

戒名の種類としては院号や法号、または位号などを挙げることができますが、院号は、位の高い順に院殿号、院号、軒号・庵号となっており、日蓮宗では多用するが、浄土真宗では滅多に使用しないというような宗教ごとの差異もみられます。

また、位号であれば、性別によって差異が存在し、男性では、位の高い順から大居士、居士、大禅定門、禅定門、信士となっており、女性は清大姉、大姉、大禅定尼、禅定尼、信女となっています。ちなみに、浄土真宗は位号を使用せず釈、または釈尼を使用するんですね。

加えて、このような戒名には型式との関係性もみられるという点も、全国的に確認されています。

例としては、

a:戒名の格が下がるにつれて櫛形の比率が大きくなる

b:禅定門・前定尼には不定形が多用される

c:釈・釈尼には角柱形が多用される

d:僧位戒名には無縫塔が多用される

などの点を指摘することができます。

このように、戒名の違いから生前の階層や宗教、性別などを判別できるうえ、墓石における型式との関係性を通しても階層制に関する検討を行うことが可能です、

これらの点をふまえて、福井県小浜市内の墓石における戒名の変遷を明らかにしていきます。

小浜は、山陰と京都を結ぶ街道の要所であると同時に日本海交易の湊町として栄えた場所です。

そのような小浜の墓石に関しては、まず、主に16~17世紀代では位号のない戒名が目立ちますが、18世紀前半において信士・信女の増加と共に位号のない戒名が減少するといった変化を指摘することができます。

このような、主に18世紀前半以降において位号を有する戒名が増加するといった現象からは、小浜では主にこの次期以降墓石文化における階層制が出現するようになったという点を指摘することができると考えられます。

また、18世紀後半には信士・信女に続いて院号、院殿号、釈・釈尼の順に多くみられるようになりますが、19世紀代には相対的に院殿号や院号の割合が増加するといった様相がみられます。

このような点からは、主に19世紀代以降の小浜において、墓石の普及に伴う「戒名のインフレ」が生じていた可能性を指摘することができます。

②俗名の違いに注目する

俗名に関しては、苗字や下の名前、屋号や施主のグループ名が記されている場合などがあります。

このような俗名に関して、小浜の墓石における変遷をたどると、その出現は17世紀代に遡ることができ、当初は苗字や下の名前のみが刻まれている例が多いです、

また、続く17世紀末~18世紀前半においてはグループ名や屋号を記す例が増加し、18世紀後半には苗字が刻まれているものが全体の5~6割、屋号を名乗る例が3割、下の名前のみが1割といった割合を示すようになります。

これらの変遷のなかで、特に俗名が登場した初期から、苗字が刻まれている例が多くみられる点は注目されます。

この点から、少なくとも江戸時代における小浜においては、公の場で苗字を名乗ることが許されていない人々も墓石に苗字を刻むことは社会的に黙認されていたといえるでしょう。

③武家を対象に藩士名簿などと照合し、禄高や役職により比較する

小浜藩士の禄高・役職に関しては、以下のようにランク付けを行うことができます。

Sランク:3000石以上 酒井家一門

Aランク:3000~1000石 先手大頭・組頭

Bランク:1000~400石 組頭・老後・城代

Cランク:400~200石 先手者頭・用人・馬廻・大目付・京都定番・近習頭・取次・小浜町奉行

Dランク:200~100石 徒士頭・代官・大津定番・先手馬廻・納戸・敦賀町奉行

Eランク:100石未満 徒士・書物方・給仕方・医師

これらのランクをもとに変遷をたどると、まず、時代が下るにつれて下の階層の墓石の比率が高くなるといった点を明らかにすることができます。

特に、Sランクの墓石は1630年代から建てられるが、Eランクの墓石は1750年代以降に建てられるようになるため、100万石以上の上士と中士と以下の平士では、墓石の建立に時期差が存在していたといえます。

また、このような小浜藩士の墓石の分析を行うことで、ランクにおける建立の時期差以外にも、ランクと墓石型式との間における一定の関係性に関しても明らかにすることができます。

例としては、

a:S・Aランク藩士の墓石には五輪塔が多い

b:B・Cランク藩士の墓石には傘塔婆や角柱形が多い

c:D・Eランク藩士の墓石には不定形が多い

d:墓誌はAランクの上士のものが多い

などを挙げることができます。

このように、墓石の調査・分析を通して武家の禄高や役職による比較を行うことで、階層による墓石建立の時期差や階層と型式間における一定の関係性などを明らかにすることが可能となるのです。

墓石に見る家族像

また、階層制以外にも、家族像といった観点から当時の社会構造を明らかにすることができます。

特に、江戸時代における墓石文化は、17世紀後半~18世紀初頭の前半から18世紀後半~19世紀初頭の後半にかけて、主流が個人墓・夫婦墓から家族墓へと変化する現象がみられます。

そのような、家族墓が江戸後半において盛行した点に関しては、墓石一基あたりに刻まれる戒名の数が増加している現象などからみることができます。

また、そのような家族墓は主に櫛形や角柱形に多く、おそらくこれらの型式が多面利用・多人数記載に適することに関係している可能性が高いです。

加えて、それらの家族墓には家紋や家印が刻まれる場合が多く、家印に関しては北日本が20%、北陸では5%と、地域によって比率の差異が存在します。

他にも、戒名のなかには子供の位号も存在し、そのような点からも家族像を復元することが可能です。

例を挙げると、童子・童女(5~15歳)、孩子・孩女(4~3歳)、嬰子・嬰女(2~1歳)、水子(流産・死産子)などを挙げることができます。

以上述べたように、主に江戸時代後半以降に増加する家族墓の分析や、子供の戒名などにも着目することで、当時の家族像の復元を行うことが可能となります。

墓石に現れた個性

江戸時代における墓石には、その普及とともに戒名以外にも没年や俗名、出身地などの生前の情報が刻まれるようになるといった現象が確認されます。

そのため、当時の墓石文化は、次第に死者の供養のみではなく故人の顕彰といった役割も担うようになったと考えられます。

特に、北海道の松前を例に挙げると、享年が刻まれる墓石に関しては1800年代に急増し、それ以前では全体の約0.6%であったのが、この時期を境に約3%へと増加しています。

また、俗名に関しては、1600年代以降は約4%であったのに対し、1790~1800年代に急増する現象がみられ、約9%となっています。

出身地が刻まれる墓石に関しては男性のものが多く、1710年代以降出現し、1790年代までの間では約1%、1800~1850年代までは約2%の割合を占めていました。

当時の松前は、内地と蝦夷地を結ぶ北のターミナルであり、内地から多くの人が流入していたと考えられます。

しかし、1860年代には減少し、全体の約0.4%となる。このような低下減少は、箱館開港による人口流出が影響している可能性が考えられます。

他にも、個性がみられる墓制に墓誌が挙げられる。墓誌は、個人情報が記された金石文であり、俗名や死亡年月日以外にも経歴や死因などの情報が記されている場合があります。

主に江戸時代後期に出現・増加し、武家が多い城下町では比率が高く、武家が少ない在方では低いといえるでしょう。

このように、墓石文化においては俗名や享年が刻まれる墓石や、個人情報が豊富に刻まれる墓標などの個性が現れている例が存在し、主に江戸時代後期以降から増加するようになるのですね。

おわりに

みなさん、いかがでしたか?

上記のように、墓石には多様な社会構造が現れており、主に墓石に刻まれている文字情報や型式などを通して階層制や家族像などの検討を行うことが可能です。

この点に関して、階層制に関しては、戒名や俗名の差異への着目、または武家の禄高や役職による比較などを行うことで検討を行うことができます。

家族像に関しては、1つの墓石に多くの戒名が刻まれた家族墓などの分析を通して検討を行うことが可能です。

また、今述べたような階層制や家族像などに代表される社会構造について検討を行う際には、主に江戸時代後半、特に18世紀後半以降の墓石文化が適しています。

その理由は、この時期を境に、俗名や出身地のような戒名以外の情報が刻まれる墓石が増加するうえ、そのような情報以外にも死因や経歴などの豊富な個人情報が記された墓誌が登場するためなんですね。

総じて、このような個性を持った墓石の分析を行うことで、当時の社会構造の復元が可能になるといえるでしょう。

加えて、ある一定の地域における戒名や俗名の変遷をたどることで、階層制が顕在化する過程や、庶民の墓石における苗字の比率の高さなどを明らかにすることができます。

そのため、個性を有する墓石の分析は、文献史料のみでは明らかにすることができない新たな社会像の復元をも可能にするといえるのです。

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