【元考古学専門修士卒が教える】墓石から分かる歴史災害について - 大学生の下剋上勉強法

【元考古学専門修士卒が教える】墓石から分かる歴史災害について

中近世考古学

(※この記事でわかること)
この記事では、墓石から読みとることができる、歴史災害について、簡単にまとめています。

はじめに

みなさん、こんにちは。たいやきです。

今回は、墓石からわかる歴史災害について、みていきたいと思います。

お墓は、もちろん祖先を祀る、大切な信仰の対象です。

しかし、このお墓は、重要な歴史的情報を有している可能性が高いんですね。

今回は、そんな歴史的側面のうち、災害について読み取れる事例について、まとめていきます。

なお、今回は「墓石が語る江戸時代」を参考にしています。

とっても魅力的な本ですので、みなさんもぜひ読んでみてください。

飢饉と墓石

墓石文化が普及した江戸時代には、「江戸小氷期」と呼ばれる気温が低い時期がみられ、冷害や飢饉に度々見舞われたことが当時の文献史料に残されています。

江戸時代における飢饉は、元禄や天明、天保に起きたものが特に深刻であり、全国各地で大きな被害を被ったとされます。

このような飢饉によって多数の餓死者が生じたであろうことは想像に難くないですが、その被害は同時期の墓石に刻まれる死者の数によって表れています。

そのため、このような飢饉などの災害の様相に関しては、古文書以外にも墓石の調査を通して検討を行うことが可能です。

特に、墓石のなかには、同じ日、または短期間に亡くなった複数の人が1つの墓石で供養されたり、短期間に多数の死者が確認される場合がみられます。

そのような場合には、当時のその地域において、飢饉のような災害や事件、事故、疫病などの歴史災害が起きた可能性が想定されます。

弘前藩と松前藩の比較

墓石の調査を通して、歴史災害に関する検討を行うことが可能であることは既に述べましたが、そのような分析を通して別地域における被害を比較することで、これまで明らかにされてこなかった新たな社会像の復元を行うことが可能となります。

例として、天明の飢饉における弘前藩と松前藩の被害を比較してみましょう。

両藩のこの時期における墓石の被供養者を検討すると、津軽では例年の約4.8倍、松前では例年の2.6倍になっているそうです、

この差異の背景に関する検討を行うにあたって、当時の両藩における生業に着目してみます。

この点に関して、当時の弘前藩は主に稲作に基盤を置いていた地域であり、松前藩は交易場(商場)における対アイヌ貿易によって収益を得ていたという差異が存在します。

もしこのような差異が墓石の被供養者数に影響しているのだとすると、米の生産に力を入れていた弘前藩の方が大打撃を受けていることは注目されます。

つまり、米どころであるが故に飢饉の被害が大きいのだとすると、単に自給を行うだけでは大規模な食糧危機に対応することができないということになります。

この点は、食糧自給率の向上を目指す現代日本社会も大いに学ぶ必要があるといえるでしょう。

特に、単に国内における食料生産に力を入れるだけでは不十分であり、海外との交易を通して、日頃から多様な食料流通ルートなどを確保しておく必要があると考えられます。

おわりに

みなさん、いかがでしたか?

墓石の調査・検討を行う際、同じ日、または短期間に亡くなった複数の人が1つの墓石で供養されたり、短期間に多数の死者が確認される場合がみられることがあります。

そのような場合には、当時起きた何らかの歴史災害の被害を示している可能性が高いです。

特に、墓石文化が普及した江戸時代には飢饉が多発しており、その被害に関する検討を行うことが可能となります。

また、そのような墓石による飢饉の分析を行い、各地域における被害の規模を比較することで、新たな社会像を復元することも可能となります。

特に、被害規模(被供養者数)の差異には、各地域における環境や生業などが影響している可能性も高く、比較を行うことでそれぞれの地域における特性を明らかにすることができるのです。

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