【元考古学専門修士卒が教える】古墳時代における皮革加工技術渡来の意義について - 大学生の下剋上勉強法

【元考古学専門修士卒が教える】古墳時代における皮革加工技術渡来の意義について

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(※この記事でわかること)
この記事では、古墳時代において、東アジアから日本に伝えられた様々な技術のうち、特に皮革加工に焦点をあてて、その意義に様相と意義についてまとめています。

はじめに

みなさんこんにちは、たいやきです。

今回の記事では、古墳時代において、東アジアから日本へと伝えられた技術の1つであると考えられる皮革加工について取りあげ、検討をおこなってみます。

具体的には、まず『日本書紀』にみられる「熟皮(かわおしの)高麗(こま)」について着目するとともに、皮革加工技術・皮なめしの概要について整理します。

次に、古代皮革加工に関連する従来の文献史学・動物考古学の研究について概観します。

そして、考察ではその内容をふまえて、古墳時代において東アジアより伝えられた皮革加工技術について、王権、または国家との関係性を視野に入れつつ、それまでの技術との関係性と後の古代における技術との関係性から評価をおこなっていきます。

熟皮高麗について

1、『日本書紀』における熟皮高麗の記録

 熟皮高麗は、『日本書紀』仁賢天皇6年条において記されているように、高句麗から連れ帰った工匠の子孫であると伝えられています(史料1)。

「かわおし」とはなめし皮職人のことを指します。

また、この熟皮高麗は、大和国諸蕃として『新撰姓氏録』に記録されています(田中1981)。

小林行雄氏は、『日本書紀』の記録から、5世紀末に百済や高句麗からの渡来工人集団が皮革処理・加工技術を倭国へと伝えた伝承が、『日本書紀』の成立した8世紀初頭には残っていたと考えました。

また、小林氏は、この熟皮高麗の先祖である須流枳や奴流枳らが伝えた技術については、後の『延喜式』に登場する植物油や脳を用いた皮なめし技術であったと考えました(小林1962)。

この点に関して、後に詳述するが、佐々木史郎氏による皮なめし技法に関する研究(佐々木1986)や松井章氏によるウマ遺体の検討(松井1987、2002)も、この点を裏付けていると考えられます。

2、皮なめしについて

では、この渡来人が伝えた皮なめしとは何か。

ここで、その概要について触れますが、この点については、吉岡常雄氏の指摘(吉岡1973)を参考とし、要約、引用します。

吉岡によると、一般的に、生皮を剥いでそのまま乾燥させると、堅いうえにすぐに腐敗してしまいます。

そのため、腐敗する原因である皮に含まれるタンパク質、その1種であるコラーゲンと呼ばれる繊維質を安定した状態にし、柔らかく加工しやすいものにする作業が必要であり、この作業が皮なめしであるとされます。

すなわち、皮なめしとはタンパク質を不溶性にしてなめりこむ工程を指します。

また、これに用いる溶剤がなめし剤とされるんですね。

ウマ遺体と文献史料からみた古代における脳漿なめし

1、古代畿内遺跡における頭部損傷がみられるウマ遺体の出土例

上記のように、文献史料の内容をふまえると古墳時代には、後の「延喜式」に記されている、脳を用いた皮なめしが伝えられた可能性が想定できます。

この点は、特に古代畿内遺跡におけるウマ遺体出土例の分析からも支持することができ、この技術が古墳時代から古代にかけて王権、または律令国家の下で用いられたものであったと推定することができます。

以下では、松井章氏によるウマ遺体の検討例(1987、2002)のなかでも、頭部に損傷痕が認められる資料について取り挙げ、その出土例の内容を紹介していきます。

①大阪市城山遺跡出土のウマ遺体

 大阪府八尾市城山遺跡では奈良時代後半(8世紀後半)の溝から複数のウマ遺体が出土しており、そのなかでも特に、後頭部に損傷痕が付けられた頭蓋骨出土例が注目されます(図1)。

図1 城山遺跡出土ウマ頭蓋破損部模式図(松井1987より)

松井は、この資料の脳頭蓋に残された痕跡から、かつてこの個体の脳頭蓋が斜めに半裁されるとともに、脳が摘出されたと解釈しました。

加えて、その方法については、まず、後頭骨の前にある前頭骨の上面(額)を斧状の鈍器で加撃し、骨に割れ口を作り、そこから刃物を使用して両側頭部に向かって切り目を広げ、後頭窩(後頭骨側にある、椎骨との連結部分)の上面で一巡して、半裁するという一連の作業工程を想定しています。

②平城京跡出土のウマ遺体

また、奈良県大和郡山市平城京跡では、溝跡より奈良時代末~平安時代初期にかけての多量のウマ・ウシ遺体が出土しています。

そのうち、頭部から前肢まで揃い出土したウマ遺体出土例が注目されます(図2・3)。

図2 平城京跡出土ウマ頭蓋(松井1987より)
図3 平城京跡出土ウマ頭蓋破損部模式図(松井1987より)

この出土例に関して、その頭部は鼻骨、前上顎骨、後頭骨を一部欠損するだけでほぼ完全であったが、そのなかでも最も頑丈な後頭骨が破損しており、前頭骨、側頭骨、上顎骨などの比較的弱い部分が残存していたとされます。

この点から、松井氏は、比較的強固な後頭部の欠損は埋没中における土圧によるものとは考えにくく、脳の摘出がおこなわれたために生じたものであると指摘しています。

2、古代文献史料からみた皮なめしにおける脳の利用

このように、畿内周辺域における古代遺跡からは、脳を取りだしたとみられるウマ遺体の出土例がみられます。

この点に関して、先述したように、小林行雄氏は『延喜式 内蔵寮 造皮功条』に鹿皮をなめすのに脳を和えるという記録(史料2)についてはやくに注目していました(小林1962)。

また、『養老律令』における多様な規定のなかでも動物に関連する『厩牧令』宮馬牛条には、官の馬牛が死んだ場合には皮や脳などを献上することを義務づけるという記述がみられます(史料3)。

これらの文献史料の内容をもとに、松井章氏は上記の頭部に損傷痕が残るウマ遺体の脳が脳漿なめしに用いられた可能性を指摘しています(松井1987、2002)。

考察

上記の内容をふまえて、考察では、この脳を用いた皮なめし技術が伝えられる以前の倭国における皮なめし技術との比較を通して伝来によるその変化を捉え、さらにはその後の古代律令社会において皮革加工に従事した人々に関して検討してみましょう。

そして、この検討を通して、古墳時代によって伝えられた脳を用いた皮なめし技法について、王権、または国家との関係性をふまえつつ評価をおこなってみます。

1、脳漿なめし技法伝来以前の倭国における皮なめし技術

まず、須流枳・奴流枳らが脳漿なめし技法を伝える以前の倭国における皮なめし技法について検討をおこなってみます。

この点に関して、古墳時代、あるいはそれ以前における皮革加工技術について記された文献史料はみられないとされます(松井1987)。

しかし、佐々木史郎氏は、皮なめしに関しては主に、人尿や人糞をなめし剤として使用する「古アジア型」の技法と、魚油、脳漿、肝臓、アザラシの脂肪などをなめし剤として用いる「ツングース型」の技法という2種類の皮なめし技法があると指摘しています(佐々木1992)。

この点をふまえて松井章氏は、高句麗がツングース系民族であることに着目し、倭国で元来存在した皮なめし技法とは「古アジア」技法であり、古墳時代に須流枳・奴流枳らによってこの脳を用いる「ツングース技法」が新しい技術として伝えられたと考えました(松井1987)。

以上のような佐々木氏や松井氏の検討をふまえると、倭国における皮なめし技法については、元来「古アジア」技法主体であったのが、古墳時代の渡来人によって「ツングース」技法がもたらされ、「古アジア技法」と「ツングース」技法の共存形態へと変化した可能性を指摘することができます。

そして、このように考えた場合、古墳時代における新たな脳を用いる皮なめし技法(ツングース型)の伝来によって皮なめし技法が多種化し、倭国における皮革加工技術の発展が生じたと考えることができます。

2、古代律令社会下における皮革加工集団

次に、伝来した後、古代律令社会下において、この脳漿なめし技法を用いて皮革加工に従事していた集団についてもみていきます。

この点に関して、まずは浅香年木氏と前沢和之氏の検討を取りあげてみましょう。

浅香氏は、当時の皮革生産を担った技能集団は人口の大多数を占める班田農民とは区別され、中央集権の直属の工房において労働生産にあたっていたと指摘しています(浅香1971)。

また、前沢和之氏は、『養老職員令』の内蔵寮と大蔵寮で皮革加工集団として登場する百済手部について、『職員令別記』では他の工人が京内におかれた例がみられないなか、この百済手部が左京に集中していたことに着目し、その特異性を指摘しています。

さらに、前沢氏はこの工人集団について、百済という出身地がそのまま付されていることから、当時の皮革加工に従事していた人々が渡来系の集団であったと考えました(前沢1973)。

以上の点をふまえると、律令社会における皮革加工集団は、同時期の手工業集団のなかでも重要視される人々であったと考えられます。

そして、この点から、古代では、脳漿なめしを含む皮なめし技法を用いて皮革加工に従事した人々が、皮革加工を通して律令社会の中で大きな役割を果していたと考えることができます。

3、小結

以上の検討から、古墳時代において高句麗より伝来したと推定される、脳を用いた新たな皮革加工技術は、

①倭国における王権、または国家に新たな皮革加工技術をもたらし従来のそれをさらに発展させた、

②そして後の古代律令国家形成時、または社会政治下において重要な役割を果たす技術の基盤を築いた、という点で評価できると考えられます。

おわりに

みなさん、いかがでしたか?

古墳時代において、熟皮高麗の先祖である須流枳・奴流枳らが倭国に伝えたと推定される、脳を用いた皮なめし技法は、畿内周辺域の古代遺跡におけるウマ遺体の出土例と、『延喜式』を中心とした古代文献史料の内容から、古代においても用いられていたと考えられます。

また、この脳を用いた皮なめしに関しては、前代における皮革加工技術との比較、または古代における皮革加工集団の在り方の検討から、

①それまでの倭国王権・国家における皮革加工技術の発展をもたらしたこと、

②後の古代律令国家形成時、または社会政治下において重要な役割を果たす技術の基盤を築いたといった点で評価することができると考えられます。

参考文献

・浅香年木1971『日本古代手工業史の研究』法政大学出版局

・小島憲之・他1996『新編日本古典文学全集3 日本書記②』小学館

・小林行雄1962『古代の技術』塙書房

・佐々木史郎1992「北海道、サハリン、アムール川下流域における毛皮および皮革利用について」『狩猟と漁撈 日本文化の源流をさぐる』雄山閣.pp.122-151

・田中卓[校注]1981『神道体系 古典編六 新撰姓氏録』精興社

・虎尾俊哉2007『延喜式(中)』集英社

・前沢和之1973「古代の皮革」『古代国家の形成と展開』吉川弘文館.pp.505-532

・松井章1987「養老厩牧令の考古学的考察―斃れ馬牛の処理をめぐってー」『信濃』39-4.信濃史学会.pp1-26

         2002「古代における馬の利用例」『考古学ジャーナル』483.ニュー・サイエンス社.pp.12-16

・吉岡常雄1973『傳統の色:日本古来の染め色の解明と復元』光村推古書院

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