【元考古学専門修士卒が教える】古代中国・日本における馬匹給餌形態について - 大学生の下剋上勉強法

【元考古学専門修士卒が教える】古代中国・日本における馬匹給餌形態について

大学生の勉強

(※この記事でわかること)
この記事では、古代中国と日本における馬匹給餌について、簡単にまとめています。

はじめに

みなさんこんにちは、たいやきです。

今回の記事では、古代中国・日本における馬匹飼育、なかでも給餌形態に関する比較検討をおこなってみます。

特に、従来の馬の給餌形態に関する検討は文献史学が主体となりつつも比較的低調だったんですね。

しかし、近年では文献史学に加えて、ウマ遺体そのものの分析をおこなう動物考古学や同位体地球科学といった様々な分野からの検討がおこなわれています。

また、その結果、日本では中国からの影響が多々みられるが、そのなかで相違点も認められることが明らかになっています。

そして、この点から、古代日本における東アジア由来の馬制・文化受容の際には取捨選択があった可能性が指摘されており(市2007)、当時は日本独自の制度が形成されていたと考えられます。

今回は、これらの成果を参考としつつ、特に給餌における飼料の内容とその生産体制に着目し、検討をおこなってみます。

具体的な検討方法としては、まず、一般的な馬の飼料に関して整理します。

次に、従来の文献史学の研究をもとに中国と日本における飼料の内容とその生産体制について触れ、さらにはそれを裏付ける近年の同位体地球科学における食性推定についても取りあげます。

そして、文献史料の内容を中心に古代中国と日本における飼料とその生産体制に関する比較検討をおこなってみます。

最後に、その結果をもとにして、特にその検討から導かれた相違点の背景について考察します。

馬の飼料

まず、馬の一般的な飼料について概観してみます。

菊池大樹氏によると、馬の飼料には大きく2つあり、それは繊維質の含有量が高いイネ科の牧草とタンパク質やカルシウムを多く含むマメ科の牧草であるとされます。

また、この2種類の植物を配合して馬の飼料として用いることは、時代や地域によって種類や配合は異なるが、現在に至るまで普遍的に継承されているといいます(菊池2017、2019)。

以下でみていくように、古代日本においてもこのような雑穀類が馬の飼料として用いられていたことが明らかになっていますが、それは中国を中心とした東アジアからの技術伝来が大きく影響していると考えられます。

古代中国における馬の給餌形態

次に、古代中国における馬の給餌形態について、飼料の内容とその生産体制についてみていきます。

菊池氏によると、古代中国では湖北省江陵県の張家山247号漢墓より、前漢初期の頃とされる『二年律令』が出土しており、その内容からは官営馬の階級にあわせて穀類とマメ類を組み合わせる給餌形態が確認できるといいます。

菊池氏はこの内容から、馬にマメ科(大豆)の飼料を与える給餌形態が前漢には始まっていたと考えました(菊池2017、2019)。

また、これら飼料の栽培地に関しても触れていきます。

馬匹生産における安定的な飼料供給は中国のどの歴代王朝でも重要でしたが、なかでも市大樹氏は、『北宋天聖令』の内容をもとに唐における馬飼料の栽培地について検討しています。

市氏は、伝送馬に宮地を支給し、飼料を生産させることなどを規定する『天聖令校證』唐令厩牧令復原46条をもとに、唐の伝送馬は分番体制をとっていたこと、またそれらのなかには飼料生産の給地がなされた個体も存在したという点を指摘しています。

加えて、唐田令復原41条の内容から、唐では馬の飼料栽培を主目的として駅田が利用されていたという点も述べています(市2007)。

古代日本における馬の給餌形態

次に、古代日本における馬の飼料とその生産体制についてとりあげていきます。

『養老律令』厩牧令をみてみると、そこでは具体的な馬の飼料が始めて登場するとともに、イネ科のほかにマメ科の飼料を給餌することが決められています(史料1)。

また、それに加え、馬の等級に応じて飼料が異なっていることもうかがわれます。

特に、その内容から、上位の馬にはイネ科・マメ科の植物の両方が与えられ、下位の馬にはイネ科の植物しか与えられていないことがわかりますね。

また、これら飼料の栽培地についてもみていきます。

前述のように中国では、伝送馬のなかには給地がなされた個体が含まれるともに、飼料栽培を主目的とした駅田利用がありました。

それに対して、養老田令33駅田令をみてみると、古代日本ではそのような給地はなされず、駅田に関しても、これらは専ら駅家経営の主要財源として利用されていたことがわかります(市2007)。

同位体分析からみた古代日本における雑穀給餌

このように、文献史料の内容から、古代中国・日本における馬の給餌形態をうかがうことができます。

この点に関して、近年ではこの給餌形態、なかでも飼料について、同位体地球科学分析といった観点からウマ遺体(歯)のエナメル質に含まれる炭素安定同位体比の分析がおこなわれているんですね。

生物を形作る主要な元素である炭素は、天然に原子量が12、13、14の同位体が存在し、それぞれ12C、13C、14Cと表記されます。

このうち12C、13Cは安定同位体、14Cは放射性同位体であり、特に14Cは約5730年で半減することが知られています。

そして、これらは、それぞれ全体の98.9%、1.1%、1兆個に1個の割合を占めていますが、これら同位体の比率はδ(デルタ)値で表され、それぞれδ12C、δ13C、δ14Cと表記されます。

また、同位体比の違いは非常に小さいため、千分率(‰:パーミル)で表されます。

そして、炭素安定同位体比に関しては、その値が大きくなるほど、軽い同位体(12C)に対する重たい同位体(13C)の割合が増えることを意味しています(米田2010,2013)。

また、植物は、光合成の違いから主にC3植物、C4植物などに大別できるが、C3植物にはイネやムギ、または牧草となるほとんどの植物が、C4植物にはアワ、キビ、ヒエなどの雑穀類がそれぞれ該当します。

この点に関して、C4植物はC3植物に比べて13Cの含有量が多いとされます(覚張2015)。

このような原理をふまえ、ウマ遺体の歯のエナメル質に含まれる炭素の同位体比を調べることで、生前において、その馬がどのような植物を摂取していたかといった点について調べることができます。

この方法を用いた同位体分析が、主に覚張隆史氏によって進められており、そのなかでも群馬県三ッ寺Ⅰ・Ⅱ遺跡における分析例が注目されます。

覚張氏はこの遺跡から出土した、5世紀後半から6世紀前半に属すると推定されるウマ遺体の歯エナメル質を用いて炭素安定同位体分析をおこなっています。

その結果、この遺跡より出土したウマ遺体は5歳に達するにつれて炭素安定同位体が上昇し、C4植物の摂取割合が増加する傾向がみられるという点を明らかにしました。

この点に関して、日本ではC4植物の自生は稀であるとされる。すなわち、C4植物の摂取および摂取率の上昇は雑穀の給餌形態がとられていたことを示し、中国由来の給餌形態が古代日本においてもおこなわれていたことを示唆しています(菊池・他2018)。

古代中国・日本における給餌形態の比較検討

これらの内容をふまえ、以下では特に文献史料の内容を中心に、古代中国と日本における馬の給餌形態について、特に飼料の内容とその生産体制に関する比較を試みてみます。

まず、飼料内容についてみていくと、古代中国では前漢の時点で既にイネ科とマメ科の複合給餌形態が取られ、なおかつ馬の階級によって与える飼料の内容が異なっていたことが明らかになっており、以後このような給餌がおこなわれていたと推定されますね。

また、古代日本においても『養老律令』厩牧令より中国と同様の給餌形態がとられていたことがうかがえます。

さらに、双方とも上位の馬にはマメ科を与えるが、下位の馬には与えないという傾向がみられ、当時はマメ科植物が馬にとって栄養価が高いということが広く認識されていたと考えられます。

そしてこの点から、古代日本では馬の飼料内容に関しては基本的に古代中国の制度を大きく改変させることなく受容したと考えられます。

しかし、その飼料の生産体制に目を向けると、そこには相違点が認められます。

特に、伝送馬に関する規定ではありますが、市が指摘したように、古代中国では飼料生産のための給地や、飼料栽培を主目的とした駅田利用が定められています。

しかし、これに対して古代日本ではそのような制度がみられない、すなわち、この制度が継承されていないことが確認できます。

ここで、古代日本においてはなぜ飼料栽培地を定める規定がなかったのか、といった疑問が生じます。

考察―古代日本において飼料栽培地が定められなかった背景―

上記の内容をふまえて、以下では古代日中の比較検討の結果得られた、飼料栽培地の有無という相違点に着目し、考察をおこなってみます。

特に、なぜ古代日本において飼料栽培地を定める規定がなかったのかといった点について取りあげていきます。

この点に関して、筆者は古代日本における牧の分布に着目することによって理解できるように考えてます。

牧の分布に関しては松本建速氏によって検討がおこなわれており、興味深い指摘がなされているんですね。

松本氏は、古代より近世に至る牧の分布を地図上に示しつつ、その分布が雑穀栽培に適した黒ボク土の分布と重なるという点を指摘しています(松本2018、図1)。

図1 黒ボク土・古代の官牧の分布域の類似(松本2018)

この松本氏の指摘をふまえると、古代日本では中国のように飼料の栽培地を定めずとも、各地域の牧で栽培されたものをそのまま馬に与えることができたと考えられます。

すなわち、飼料栽培地に関する規定を日本が継受しなかったのは、牧における飼料の自家生産・飼料が可能であったためであると考えられます。

むしろ、この飼料の自家生産・消費をおこなわせるために、牧の設置地域を黒ボク土が分布する土壌に集中させたとも考えることができるかもしれません。

おわりに

みなさん、いかがでしたか?

今回の検討から、古代中国・日本における馬の給餌形態に関して、特に飼料の内容とその生産体制については以下の点が指摘できます。

①馬の飼料にはイネ科やマメ科などの雑穀類が適しているが、古代中国・日本の双方ともこれらの雑穀類が飼料として与えられていた。加えて、両地域とも馬の階級に応じて飼料の内容が異なっており、特に上位の馬に対してはマメ科を与えるという点で共通していた。これらの点から、古代日本は、給餌飼料の内容に関しては中国の技術、または制度を変化させることなく受容したと考えられる。

②しかし、飼料の生産体制に関して、古代中国では飼料栽培地に関する規定がみられたが、日本ではそのような制度は継受されなかった。その背景としては、古代日本における牧が雑穀類の自家生産・消費が可能である黒ボク土が分布する地域に置かれために、敢えて飼料栽培地を定める必要がなかったということが想定される。

引用・参考文献

・市大樹2007「日本古代伝馬制度の法的特徴と運用実態―日唐比較を手がかりにー」日本史研究544.日本史研究会.pp1-27

・井上光貞1976『日本思想体系3 律令』岩波書店

・菊池大樹2017「Ⅴ 苜蓿と馬匹生産」『国家形成期の畿内における馬の飼育と利用に関する基礎的研究』奈良県立橿原考古学研究所.pp51-57

      2019「中国古代の馬文化」『馬の考古学』雄山閣.pp.58-67

・菊池大樹・他2018「関中の馬と大和の馬『学習院大学国際研究教育機構研究年報』4. 学習院大学国際研究教育機構.pp70-88

・覚張隆史2015「歯エナメル質の炭素安定同位体比に基づく三ッ寺Ⅰ・Ⅱ遺跡出土馬の食性復元」『動物考古学』32.日本動物考古学会.pp.25-37.

・松本建速2018『つくられたエミシ』同成社

・米田穣2010「同位体食性分析からみた縄文文化の適応戦略」『縄文時代の考古学4 人と動物の関わりあいー食料資源と生業圏』同成社.pp.207-222.

     2013「縄文時代の環境変動と食生活」『環境の日本史2 古代の暮らしと祈り』吉川弘文館.pp.8-30.

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