【元考古学専門修士卒が教える】今話題沸騰中の佐賀県吉野ヶ里遺跡について - 大学生の下剋上勉強法

【元考古学専門修士卒が教える】今話題沸騰中の佐賀県吉野ヶ里遺跡について

大学生の勉強

(※この記事でわかること)
この記事では、現在新たな発掘区が発見され、その成果が期待されている佐賀県吉野ヶ里遺跡について、簡単にまとめてあります。

はじめに

みなさんこんにちは、たいやきです。

今回は、今話題の佐賀県吉野ヶ里遺跡について、どのような魅力があるのか、解説していきたいと思います。

吉野ヶ里遺跡って?

佐賀県吉野ヶ里遺跡は、佐賀平野を見渡す低丘陵上に位置する弥生時代の遺跡です。

佐賀県を含む北部九州は弥生時代の始まりを捉えるうえで大変重要な地域です。

基本的に弥生時代を特徴づけている水稲稲作は朝鮮半島を通して北部九州より受容されたことが明らかとなっているからです。

一般的に吉野ヶ里遺跡は、「邪馬台国」との関連で取り挙げられることが多いです。

しかし、この遺跡で特に重要なのは、北部九州の弥生遺跡のなかでも、弥生時代の初期から終わりまで継続している集落であるという点です。

すなわち、弥生時代における、集落の形態やその概要、そして時代を通した変遷を捉えることができるという点で重要なんですね。

これまでの調査では、本遺跡が、階層によって居住する範囲を異にしていたムラの集合体であった点が明らかにされています。

この階層性がうかがわれるという点が、邪馬台国との関連で語られる所以ですね。

現在新たに発掘している地点の出土資料の内容によっては、新たな権力に関する検討が可能になるかもしれませんし、集落の新たな一面がみえてくるかもしれません。

いずれにせよ、調査の成果が大変期待されますね。

弥生時代って?

一応、この吉野ヶ里遺跡が属する弥生時代という時代についてもまとめておきましょう。

一般的に、日本の歴史は、旧石器、縄文、弥生、古墳、古代…と続きます。

弥生時代とは、縄文時代を経た後、水稲農耕を生業としていた時代のこと。

今から約2300年~1700年前のことです。

簡単に、コメを作り、食べるようになった時代といってよいでしょう。

このコメの文化、水稲農耕経済というのは、朝鮮半島を伝って北部九州より日本に受容され、青森県を北限として伝えられました。

そのため、弥生時代というのは基本的に本州のみで展開されていた、ということになります。

この時代の特徴は、水稲稲作という生業のほか、大陸系磨製石器といって朝鮮半島伝いに海外の石器文化が受容されました。

例としては、石庖丁や太型蛤刃石斧などがあります。

他にも、縄文土器に比して薄く、文様もやや簡素化する(縄文が施されない)弥生土器が作られるという点も特徴ですね。

このような特性を持っているのが、弥生時代なのです。

現代の我々がコメを主食としている農耕民である点をふまえるなら、現在人の生業文化の起源ともいえるのが、弥生時代なんですね。

そしてこの時代における集落の実態把握に大きく寄与すると考えられるのが、今話題となっている吉野ヶ里遺跡であるといえます。

おわりに

みなさん、いかがでしたか?

弥生時代を知ることは、現代の我々にとっても大変重要なこと。

そしてその弥生時代のキーワードである佐賀県吉野ヶ里遺跡による発掘成果を、楽しみに待ちましょう。

なお、別の記事では弥生時代について知ることができるおすすめの本を紹介しておりますので、ぜひご覧ください。

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