【元考古学専門修士卒が教える】世界における考古学の歴史について - 大学生の下剋上勉強法

【元考古学専門修士卒が教える】世界における考古学の歴史について

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Archaeology icon set with archeology lettering. Vector illustration of archaeological tools, ancient artifacts isolated on white background.

(※この記事でわかること)
この記事では、世界における考古学の歴史についてまとめています。

はじめに

みなさん、こんにちは。たいやきです。

みなさんは、考古学の歴史について考えたことはありますか。

今回は、世界を視野に入れながら、考古学の歴史についてまとめていきます。

きっと、考古学の新しい魅力に気づくことができるはず。

想像の時代

考古学では、基本的に遺跡を対象として調査が実施されますが、当初、遺跡の解釈は、想像・神話的世界観に登場する都市などと結びつけてなされていました。

このような想像の時代は、アメリカのジェファーソンによるトレンチ発掘(1784)によって終わりを迎えます。

この調査では、マウンド状遺構についての考察を、発掘調査に基づく証拠によって説明しました。

しかし、これによって想像の時代は終焉を迎えましたが、解釈上では聖書的枠組みが残りました。

例えば、19世紀初頭のイギリスのホアによる墳墓の発掘とカテゴライズでは、聖書的枠組みに捉われた解釈がなされました。

近代考古学のはじまり

学問としての考古学が成立したのは、19世紀後半以降でした。

このとき、多くの萌芽的な考古学的研究が実施されました。

ハットンらは、斉一性の原理を適用し、過去は現在と基本的に類似し、斉一的である、と説きました。

ドゥ・ペルテらは、打製石器と獣骨の共伴例をもとに、聖書における洪水伝説より前から人類はいた可能性を指摘しました。

トムセンは著名な3時代法を提唱します。

これは、遺物の材質から、石器→青銅器→鉄器という歴史の流れを想定したものですね。

トムセンは遺物の分類と編年関係の確立の重要性を説き、以降この点が重要視されていきます。

これを受け、モンテリウスは型式学的研究法を大成させました。

タイラーらは、民族誌との比較を通して、野蛮→未開→文明という人間社会の進化を指摘しました。

このように、19世紀では、様々な方法論の発展がみられました。

なお、上記のような方法論の発展の背景には、シャンポリオンによるヒエログリフ解読(1822)などの初期文明の発見がありました。

ただし、この時点では、発掘技術が伴っていたわけではなかったという点をおさえておく必要があります。

この面の克服は、後のピット=リヴァース将軍やエジプト考古学のペトリーなどによってなされました

彼らは層位・遺構平面の記録、セクション図作成、報告書の刊行を実施し、現在の考古学的調査の原型を作ったといえるでしょう。

分類と整理

19世紀末以降は、編年と文化変化への着目がなされました。

チャイルドは遺物整理と編年について提唱しました。

チャイルドは、「アセンブリッジ」を見出すことで人間集団における特徴的な物質的装備を捉えました。

また、文明の起源(なぜ、西アジアで文明が発生したのか)への問いかけもなされました。

特に、モンテリウスは、『ヨーロッパ文明の黎明』(1925)で、西アジアからの影響は受けつつも、ヨーロッパは独自の文化を遂げたと指摘しました。

彼は、文明起源の問いに対してマルクス主義思想を援用し、新石器革命と都市革命による経済基盤の変化→文化変化→文明化という流れを想定しました。

さらに、新領域の分野との連携もみられるようになりました。

スチュワードは、人類学との連携を指摘しました。

彼は、文化と環境の相互作用を指摘しました。

これによって、環境から文化へという変化はどのように起こるのか、を考察する文化生態学が誕生しました。

クラークは生態学との関連を重要視しました。

彼は、環境と有機遺物の分析をもとに、植生と食料事情への言及をおこないました。

また、リビーという人物も物理・化学との関連性として重要です。

彼は、14Cを用いた放射性炭素年代測定を開発し、年代決定法の発展に貢献しました。

考古学における転換点

20世紀では、プロセス考古学(ニューアーケオロジー)とポストプロセス考古学が台頭しました。

これ以前の考古学は、事実の記述を重視する文化史的考古学、またはオールドアケオロジーといわれます、

この20世紀以降の考古学で重要なのは、ビンフォードとホダーという人物です。

ビンフォードは、プロセス考古学(ニューアーケオロジー)を提唱しました。

これは、説明を重視し、統計学的データ・説明・検証・仮説・モデリングなど科学的アプローチを提唱するものでした。

これに対し、ホダーはポストプロセス考古学を提唱しました。

これは、ニューアーケオロジーに反対し、他学問分野のアプローチを加えて、解釈学的考古学の知見や意

見の多様性を重んじる、というものでした。

これらの点をふまえるなら、世界的な流れとして、文化史的考古学、プロセス考古学、ポストプロセス考古学という変遷が指摘できます。

なお、この点については、別の記事で考古学の歴史を学ぶことができるおすすめ本を紹介していますので、ぜひご覧ください。

現在では、初期のプロセス考古学のように、ニューアーケオロジーにみられる科学的態度を批判することなく、両者を合一したような方法がとられています。

おわりに

みなさん、いかがでしたか?

このように、考古学は世界で複雑な歴史をたどってきました。

日本における考古学と比較してみると、面白いかもしれません。

 

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